来月発売される「ファイナルファンタジー7 リバース」に先駆けて、原作である「ファイナルファンタジー7」に携わったチームの一部がインタビューに応じた。
そのインタビューでは、オリジナルのディレクター兼脚本家である北瀬佳範氏が、原作の「社会的課題、社会問題、文化的描写」の表現のされ方について恥ずかしく思っていると主張している。
現在ファイナルファンタジー7リメイクとリバースのプロデューサーを務める北瀬佳範氏は、野村哲也氏(原作ゲームのキャラクターデザイナー兼ビジュアルディレクター)らと共に、Game Informerのインタビューに応じた。
そーす:https://nichegamer.com/final-fantasy-vii-director-embarassed-original-themes/
引用元:https://krsw.5ch.net/test/read.cgi/ghard/1709102063/
野村氏は、ファイナルファンタジー7が、ファイナルファンタジーの発展における2つの異なる方法の間に位置する、ある種の「中間点」であったことに言及する。
「ファイナルファンタジー7は、ファイナルファンタジーシリーズのナンバリングタイトルの中でも、中間地点に位置するタイトルだと考えることができます。ファイナルファンタジー6までは、シリーズ作品はひとつの決まったやり方で作られていましたが、8からは、まったく新しいアプローチで開発が行われたのです。一方、7はこれらの二つのタイトルの間に位置するものであり、混合的な要素があるタイトルでした。」
「6では、開発チームの各部門が独自に、あるいはただの気まぐれ的に、入れたいと思ったから入れたという要素が多く、一方の8では各要素はもっと計算され、戦略的に作られています。7はそのミックスであり、計算と気まぐれの両方があるというタイプの開発プロセスでした。
もし我々が原作の7を作っていた頃にやっていたようなやり方で今もゲームを作っていたら、大変なことになっていたでしょう。時代は本当に変わりました。時代が変わったと我々が言う時点は、7以降のことです。7はそういうやり方でゲーム開発ができた最後のタイトルなのです」
野村氏は、ときには完全にランダムな変更が行われることもあったと示唆した。
「脚本があるのですが、キャラクターが突然、脚本の中にすらない、我々が聞いたこともないようなことをゲームの中で話し始めるということがありました。ある開発の部門が、ただキャラクターがそう言っているシーンを含めたかっただけだというのです。当時はそういう世界でした」
その後、北瀬佳範監督は、ストーリーをより理解できるものにするために、もう一人の脚本家である野島一茂と緊密に協力した。
「各キャラクターやストーリーの中で彼らが話すことを考えるチームもありましたが、全体については野島さんが最終的なレビュアーでした。つまりストーリー全体を纏めるのです。このやり方は、全体に纏まりを持たせるためにその後のタイトルにも引き継がれました。でも、それ以外は”何でもあり”の世界だったのです」。
インタビューの後半で、開発者たちは原作ゲームのテーマについてさらに語り始め、記事のライターはそれらを「企業の強欲、環境保護、メンタルヘルス」だと主張した。以下は北瀬氏の発言である。
「ファイナルファンタジー7では、ライフストリームというコンセプトを通して、生命のサイクルなどの諸問題を描くことができました。現実の世界で経験するのとまったく同じように描いたとしても、かなり面白いということにはならないでしょう。
野島さんのアイデアによって、ファイナルファンタジー7の世界観の中で、ライフストリームと惑星を中心に据えつつこのテーマを描くことができた。そうすることで、FF7とそのテーマは、今もなお関連性をもち、時の試練にも耐えうるものになったと思います」
しかしながら北瀬氏は、フィクションであるにもかかわらず、FF7が「社会的課題、社会問題、文化的描写」をどのように取り扱ったのかについて、「恥ずかしく思う」と語っている。
「原作が社会的課題、社会問題、文化的描写をどのように表現したかを考えると、ある意味でですが、私は原作を少し恥ずかしく思っているのです。 その表現自体が、ある意味ではとても若くまたナイーブでした。
それは我々とっては学びですが、同時に、広く受け入れられた理由のひとつなのかもしれないとも思っています。完璧ではないし、その若くナイーブな描写の性質には、でこぼこでギザギザした部分があるのです。
もちろん、25年もの月日が経てば、個人的な学びや変化、成長もたくさんあります。でも、原作を振り返ってみると、そのうちのいくつかについては、ちょっと恥ずかしく感じるのです」
このような引用は、Game Informerが正しく翻訳したのか、それとも「ローカライズ」してしまったのか、一部の人を訝しく思わせるだろう。だがスクウェア・エニックスに「倫理部」があることを考えると、この引用には一部の人が考えるよりも真実性がありそうだ。
北瀬氏は具体的に何を恥ずかしがっているのか言及しなかったが、ポリティカル・コレクトネスな西欧人を不快にさせる多くの事柄が、彼が話していることなのだと推測可能である。
原作ゲームには彼らを不快にさせる多くの要素がある(蜜蜂の館でのセ●クスの描かれ方、ティファのセ●クスアピール、バレットが「人種差別的ステレオタイプ」であること、シドの恋人に対する「不当な扱い」など)。
スクウェア・エニックスが「ファイナルファンタジー7リメイク」の蜜蜂の館を「ジェンダーフリーの視点から」、そして「現代のセンシビリティーを考慮して」作ったことを考えると、これはおそらく事実だろう。
「ファイナルファンタジー7リバース」は2024年2月29日にPS5で発売が予定されている。
—-翻訳終わり—-
若気の至りすぎて恥ずかしいんだろなー
まあそういうこと言い出すとゲームなんか作れなくなるんやが
館の描写とかは当時もわりと気を使ってたかなと思うよ
>>14
オリジナルでも爆発の勢いが強い件について「?」マーク飛ばしてたから
神羅のマッチポンプにつきあわされてはいたらしい。
それでも序盤バレットの行動は許されないんだけど
マッチポンプが伝わりにくかったぶんリメイクではそこがわかりやすくなってた
天野原画の幻想的雰囲に惑わされがちだが2の時点で片乳丸出しだからな
当時でも大の大人は似たような反応だったってだけだわ
昔を思い出して落ち込む事あるからなぁ
もう一度同じ人が作っても面白さがなくなったり
これじゃないってなるのはなんでもそうじゃないかな
漫画家とか小説家が10年前自分がかいたのみると恥ずかしいってなるらしいし
周りの時代の変化も勿論あるけど それだけじゃないというか
登場人物にやたら煙草咥えさせてる絵描きとか10年後に恥ずかしいってなるかもなw
ホストが好き勝手やらかすというゲームに変えちゃった
北瀬は映画の演出とか勉強してて入って来てFF6のストーリーで幻獣とティファママが
子供作るシーンのシナリオを坂口が書いて渡してどういう演出にするか楽しみにしてたら
2人が空中をぐるぐるしたあとに光が生まれてティファが出来た演出が出来て笑ったって言ってた
そう言うの掘り起こされると恥ずかしいだろうなぁ
>>29
ティナだろ
ティファじゃなくて
なぜ分割→全然出来てないのに発表したから
そいで当時アニメ志向だったキャラデザを何故そのままリアルにしてしまったのか
北瀬ってたしか取締役だしな
こいつが倫理部の導入とかも支持してるんだろうな
特にFFってのは細かい粗を
吹き飛ばすような爆発力が作品を引っ張っていたものだけど
受け手作り手そろって猿マネを繰り返した結果
陳腐化してそれが中二病と呼ばれるものになった
昔は「勉強が足りなかった」
今は「学ぶ力を失った」
あとFF8以降がつまんないのも「各開発チームが勝手に入れ込むランダム性」が消えたからかもな
昔のゲームってなんとも言えない個性と多様性があったが、ああいうのって開発プロセス自体が反映されてたんだろう
今は全部計算づくで、倫理部だの品質管理だのが前さばきで「計算づく」で作るから、パッケージ化された商品らしさだけが強まっていく
なんだったんだ
お前らも続け
これよ
ああいうのは恥ずかしがる必要はないんだよ
気にしてるのはゲームの面白さじゃなくて納期とポリコレと水増しだけ
サブクエなんて作ってる人間も面白いと思ってないだろ
つまらない要素でゲーム時間を水増ししてるだけ
>脚本の中にすらない、我々が聞いたこともないようなことをゲームの中で話し始める
>ある開発の部門が、ただキャラクターがそう言っている
>シーンを含めたかっただけだというのです。当時はそういう世界でした
よく読め、他の開発者が想定してない脚本を勝手に入れてただけだと
>>47
>「6では、開発チームの各部門が独自に、あるいはただの気まぐれ的に、入れたいと思ったから入れたという要素が多く、一方の8では各要素はもっと計算され、戦略的に作られています。7はそのミックスであり、計算と気まぐれの両方があるというタイプの開発プロセスでした。
もし我々が原作の7を作っていた頃にやっていたようなやり方で今もゲームを作っていたら、大変なことになっていたでしょう。時代は本当に変わりました。時代が変わったと我々が言う時点は、7以降のことです。7はそういうやり方でゲーム開発ができた最後のタイトルなのです」
脚本以外にもそういう要素があったと考えるほうが妥当
蜜蜂の館のカオスっぷりとかはそういう「監督されない悪ふざけ」の結果だろう
ノムリッシュFF全部全般に対して恥ずかしく思えよ
雑ポリゴンだから女装クラウドはギャグになってたけど
令和に男に女装させてとかで見た目よくしてる時点でキモオタのゲームなんだよな
はマジ名言
これは歳をとったのだから仕方ない
人間は歳をとると全員ハレンチ怪しからん病にかかる
そしてこれは昨今のポリコレの正体でもある
ポリコレとは社会の高齢化である
老人として真っ当な感性だが、それを若い世代に押し付けるのはどうか?
>>64
ほんこれ
年老いたジジイがカッコつきの社会正義をお題目に若者から性の歓びを奪うなと
黒人テロリストのバレットはただは「カッコイイ」の一言
ほぼモデルのミスターTがいたせいもあるが嫌悪感なんて微塵もなく
どういうとこが恥ずかしいと思ってるんだろ
>一方の8では各要素はもっと計算され、戦略的に作られています
計算されてあの出来かよw
散々8が非難されまくってるの知らないんだろうなw
おマメ、クリクリ、クリッ
出来るだけ残そうと頑張るのが仕事やろ
終始スカシてたらあそこまで人気にならなかったと思う
あの人の作品割りとギャグ多めだからな
7は頭身の関係で似たような表現も出来た
その時代を後から悪く言うのはオリジナル関わってた人たちでもあまり良い気はしない
>>94
でもRPGで他人の家に勝手に入って宝箱開けたりアイテム取ったりするのには文句つけないんでしょ
なんでそこは「ただのゲーム」と思うのに、女の子クローゼットだとそうは思わないんだい?
その時代はむしろ好きなんだがな
アバランチを大衆に迷惑かける環境テロリストにしたくねぇからって
魔晄炉の爆破は神羅が自らやりましたみたいな改変してて
ハァ???ってなった
>7はそのミックスであり、計算と気まぐれの両方があるというタイプの開発プロセスでした。
>完璧ではないし、その若くナイーブな描写の性質には、でこぼこでギザギザした部分があるのです。
ファイナルファンタジーが失ってしまったもの
そりゃヒューヒューもするさ
>>134
むしろ昔の文化におんぶにだっこしている癖に
その昔の文化にウ〇コぶん投げてる風潮があるな
ハリウッドもリメイクばっかりになって、しかもポリコレとかいうウ〇コを塗りたくらないといけない風潮になってるし
スクエニも全く同じ状況だな。どっちが始めたことなのか知らんがさ
新しいものを生み出せないなら素直に引退して欲しいわ
>>137
蜜蜂の館も中途半端に「アップデート」される前のほうがユーモアがあってよかったしな
わざとらしいLGBT賞賛ごっこなんかよりよっぽど人間らしさに溢れていた
人間の生きた感情を抑圧し綺麗さっぱり漂白して形だけ整えたように思ってもそれは結局のところ嘘にすぎない
文化的表現はウータイの事か?
「 その表現自体が、ある意味ではとても若くまたナイーブでした。
それは我々とっては学びですが、同時に、広く受け入れられた理由のひとつなのかもしれないとも思っています。完璧ではないし、その若くナイーブな描写の性質には、でこぼこでギザギザした部分があるのです。」
この恥ずかしいというのは決してネガティブばかりな意味合いではないだろう
今の自分が振り返って考えれば未熟に思えるがその未熟さこそが多くの支持に繋がったんだと分析出来てるわけだからそんなにおかしなことは言ってない
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